茶の湯道具 茶遊庵 悠

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  • 短冊3セット 妙心寺派管長 正眼寺 山川宗玄師筆 ※四海香風従此起の短冊 シミ有

    ¥10,000

    向上の一路、 千聖すら伝えず どんな聖人 でも悟り、真実を他の人に伝えることが出来ない 柏樹子の話(わ)に賊機(ぞっき)あり 恐ろしい盗賊のような働きがあって、私たちから執着や分別心、煩悩を根こそぎ奪い去る働きがあるということ 四海香風従此起(四海の香風ここより起こる)※シミ有 やまかわ・そうげん――昭和24年東京都生まれ。埼玉大学理工学部卒業。49年野火止平林僧堂の白水敬山老師について得度。同年正眼僧堂に入門。平成6年正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学学長。令和6年4月より全国約3300寺を擁する大本山妙心寺派管長に就任。

  • 短冊3セット 妙心寺派管長 正眼寺 山川宗玄師筆

    ¥12,000

    賊は慎家の門に入らず 盗人でも玄関の履物がよくそろえてある家には、ようはいらないといいます。またこれは、自分自身のことをよく反省せよ、という意味にも用いられています。 君向西秦我之東魯 君は西秦に向かい、我は東魯にゆく 各人独立独歩。それぞれの道を行く。修行は自分で成就して行かねばならぬ。 未だ生を知らず、焉(いづく)んぞ死を知らん。 まだ生きることを知らないのに、どうして死のことなどわかろうか、わかるはずがない。 やまかわ・そうげん――昭和24年東京都生まれ。埼玉大学理工学部卒業。49年野火止平林僧堂の白水敬山老師について得度。同年正眼僧堂に入門。平成6年正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学学長。令和6年4月より全国約3300寺を擁する大本山妙心寺派管長に就任。

  • 色紙「松無古今色」 妙心寺派管長 正眼寺 山川宗玄師筆

    ¥6,000

    状態 良 やまかわ・そうげん――昭和24年東京都生まれ。埼玉大学理工学部卒業。49年野火止平林僧堂の白水敬山老師について得度。同年正眼僧堂に入門。平成6年正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学学長。令和6年4月より全国約3300寺を擁する大本山妙心寺派管長に就任。 松無古今色(まつにここんのいろなし) 松は年中青々とした常緑樹であり、今も昔も変わらない姿をしています。 これは、物事の道理や原理は、いつの世でも変わることがない普遍的なものであり、またそうでなければならない、ということを教えてくれる禅語です。

  • 色紙「無尽蔵」 妙心寺派管長 正眼寺 山川宗玄師筆

    ¥6,000

    状態 良 やまかわ・そうげん――昭和24年東京都生まれ。埼玉大学理工学部卒業。49年野火止平林僧堂の白水敬山老師について得度。同年正眼僧堂に入門。平成6年正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学学長。令和6年4月より全国約3300寺を擁する大本山妙心寺派管長に就任。 「無一物中無尽蔵」 中国の詩人である蘇東坡の詩の一節「無一物無尽蔵 花有り月有り楼台有り」に由来しています。この言葉は、こだわり(一物)をなくせば可能性に際限はないという意味で、茶道においても重要な精神として捉えられています。

  • 一行軸「清風万里秋」大徳寺派萬年山極楽禅寺住職 西垣 大道師筆

    ¥9,000

    幅30.7cm 長さ171cm 共箱 状態  少シミ有 昭和17年兵庫県生まれ 昭和24年西垣宗興について得度 大徳僧堂、のち相国宗堂に掛塔 昭和51年仏教大学大学院修士課程終了 昭和53年兵庫県の大徳寺派萬年山極楽禅寺住職に就任 清風せいふう万里ばんりの秋あき 出典| 『古尊宿語録』、『五灯全書』 元々は西風万里秋であるという。意味としては「清々しい風が吹き渡り、見わたす限り秋の気配が充ち満ちている」という意味。この前の原文「昨夜一聲鴈(昨夜さくや一声いっせいの雁かり)」と合わせて意味を考える必要がある。つまり、雁の声がまるで清々しい風を引き連れて万里(見渡す限りの土地)を秋にしてしまったかのような悟り、曰く「一を知りて十を知る」かのような悟りの開け方を意味するのではないか。仏法は一つ一つ辿るのではなく、円鏡であり、全てがつながっている。それまで全く悟れていなかったとしても、ある機縁によって蒙が啓ける時がくるということの意味であると考えられます

  • 銘「雪」茶碗 三浦竹軒造 

    ¥10,000

    直径11.8㎝ 高さ8㎝  共箱 ※雪の字を書いた人が誰なのか調べても分かりませんでした。 明治33年(1900)京都生。初代竹泉の三男。はじめ三代を継いだが、昭和9年別家して竹軒と改号。金襴手を得意とし、仁清、乾山風の華麗な茶道具。花器が中心。政府認定技術保存資格者。京都伝統陶芸家協会員。平成2年(1990)歿、90才。 17秒前

  • 画賛軸「利休居士像」大徳寺派萬年山極楽禅寺住職 西垣 大道師筆

    ¥6,000

    幅30.2cm 長さ171.5cm 共箱 状態 全体シミ有 昭和17年兵庫県生まれ 昭和24年西垣宗興について得度 大徳僧堂、のち相国宗堂に掛塔 昭和51年仏教大学大学院修士課程終了 昭和53年兵庫県の大徳寺派萬年山極楽禅寺住職に就任

  • 一行軸「松樹千年翠」 大徳寺如意庵 立花大亀老師筆

    ¥22,500

    幅31.8㎝ 長さ204.5㎝ 共箱 シミ有  ※二方桟の一片欠如あり  1899-2005 大正-平成時代の僧。 明治32年12月22日生まれ。臨済(りんざい)宗。大正10年出家。京都大徳寺塔頭(たっちゅう)の徳禅寺住職となる。大徳寺派宗務総長を2期つとめ,昭和38年最高顧問,48年大徳寺内に如意庵を復興して庵主となる。57-61年花園大学長。平成17年8月25日死去。105歳。大阪出身。

  • 一行軸「丹頂千年寿」前大徳 三重 玉龍禅寺  戸上 明道師 筆

    ¥9,000

    幅30.5㎝ 長さ173㎝ 共箱 少しシミ有 三重県に生まれ、龍谷大学卒業後、立命館大学院を修了し大徳寺専門道場に掛塔、小田雪窓老師に師事しました。 丹頂千年寿 「千年万年の長寿を楽しむこと」を意味する禅語は「千年の寿」です。また、人を慶賀する言葉としても使われます。

  • 一行軸「茶煙永日香」大徳寺塔頭三玄院住職 藤井誡堂筆  長谷川寛州極箱

    ¥10,000

    幅31.4㎝ 長さ183㎝ 紙表装 折シワ有 極箱 藤井誡堂 1898年(明治31)~1984年(昭和59) 大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職 長谷川寛州 大徳寺塔頭三玄院の先代住職。現三玄院住職の長谷川大真の父。 「茶煙永日香」(さえん えいじつ かんばし)。 お茶を沸かす時の煙が、春のうららかな日に香ばしく立ち上がる のどかで静かな情景を表しています。 45秒前

  • 千段巻菓子器 朝日窯

    ¥5,000

    直径20.3cm 高さ6cm 共箱 朝日窯  朝日焼は、お茶文化の中心地として知られる京都・宇治にある窯元です。宇治川をはさんで平等院の対岸、朝日山の麓にございます。 今から約400年前の桃山時代から江戸時代に変わろうとする慶長年間に朝日焼初代陶作が窯を築きました。千利休が茶の湯を大成し、同じく茶人の小堀遠州が活躍した時代です。小堀遠州は、当時お茶の産地として力をつけてきた宇治とも関わりが深く、宇治茶の地位向上に大きく貢献しました。初代は遠州より窯名の「朝日」の二字を与えられ、それが「遠州七窯」のひとつとされる所以です。江戸時代初期、「宇治茶」と「茶の湯」の発展と共に朝日焼は盛期を迎えます。初代から三世陶作にかけて茶碗や水指などの茶道具が大名、公家、茶人に珍重されます。

  • 一行軸「松無古今色」 三玄院前住職 藤井誡堂師筆

    ¥12,000

    共箱 幅28.9cm 長さ168.5cm 松には古葉、若葉の入れ替わりはあっても、季節を通じてその翠を保ち、年月を経ても変わることはありません。変わらぬ松の翠を、変わらぬ家族の安寧、親しいひととの変わらぬ交誼などと重ね合わせて、将来に想いを馳せるのです。 藤井誡堂 (ふじい かいどう、1898年(明治31)~1984年(昭和59)) 大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職 戦後より大徳寺の復興に瑞巌、雲窓らと共に尽力を示す。

  • 三彩遊亀盆 親子孫 中村宗哲工房造

    ¥14,000

    共箱 赤盆 直径15.3cm 高さ2cm 黄色盆 直径17.4cm 高さ2cm 黒盆 直径19.4cm 高さ2cm 中村宗哲工房】千家十職 塗師 ・千宗旦の次男、一翁宗守(1593年~1675年)は、中村宗哲家の初代八兵衛(1617年~1695年、当時の八兵衛は吉岡姓)の娘婿となり、吉岡甚右衛門を名乗り塗師を営んでいたが、宗守が父・宗旦から官休庵(武者小路千家)を譲り受けた際に吉岡家を出て千家に復する時、家業を八兵衛に譲った。

  • 銘「深山路」竹茶杓 立花大亀老師書付 下削り 楳玄作

    ¥24,000

    長さ18.6cm 臨済宗の僧。大徳寺塔頭徳禅寺長老。大阪生。南宗寺で得度し、妙心寺専門道場で修行。大徳寺執事長・大徳寺派管長代務者等を歴任。昭和57年花園大学学長に就任。平成17年(2005)寂、105才。

  • 猪蓋置 吉向 十三軒造

    ¥6,000

    共箱 直径5.6cm 高さ5.3cm 948年(昭和23年)大阪府に生まれる 本名 了一 父、7代吉向十三軒 雅正に師事する 1971年(昭和46年)8代 吉向十三軒を襲名する 文政年間より脈々と受け継がれてきた家伝の技である 吉向焼の伝統を今に生かしながらも現代的な感覚を盛り込んだ茶道用具をはじめとする工芸品は異彩を放っている 先々代より、裏千家今日庵出入方である

  • 犬蓋置 吉向 十三軒造

    ¥6,000

    共箱 直径6cm 高さ5.6cm 948年(昭和23年)大阪府に生まれる 本名 了一 父、7代吉向十三軒 雅正に師事する 1971年(昭和46年)8代 吉向十三軒を襲名する 文政年間より脈々と受け継がれてきた家伝の技である 吉向焼の伝統を今に生かしながらも現代的な感覚を盛り込んだ茶道用具をはじめとする工芸品は異彩を放っている 先々代より、裏千家今日庵出入方である

  • 羊蓋置 吉向 十三軒造

    ¥6,000

    共箱 直径5.6cm 高さ5.3cm 948年(昭和23年)大阪府に生まれる 本名 了一 父、7代吉向十三軒 雅正に師事する 1971年(昭和46年)8代 吉向十三軒を襲名する 文政年間より脈々と受け継がれてきた家伝の技である 吉向焼の伝統を今に生かしながらも現代的な感覚を盛り込んだ茶道用具をはじめとする工芸品は異彩を放っている 先々代より、裏千家今日庵出入方である

  • 棒ノ先建水 陽炎園造

    ¥8,000

    共箱 直径12.5㎝ 高さ11cm 陽炎園とは日本画家 山元春挙画伯が「東海道名所絵図」にも描かれた名勝「陽炎の池」が庭内にあることから命名された。当時、小堀遠州は近江奉行であったことなどから、遠州の指導が考えられる。初代健三の長男 1913年大正02年 生まれ 京都高等工芸学校陶磁器科卒 1987年昭和62年 膳所焼美術館を設定 1985年昭和60年 滋賀県伝統的工芸品指定 1991年平成03年 通産省より伝統産業功労者表彰 2010年平成22年 尼膳所焼で製陶中

  • 大徳寺高桐院塔頭上田義山師書付「瑞雲」黒茶碗 政所窯

    ¥50,000

    重湯を入れチェック、水漏れ確認しました。 万が一、茶碗から水が滲み出したら重湯を入れてチェックをお願いいたします。 直径11.3cm 高さ7.8cm 大徳寺五百十世。諱は良忠。大徳寺高桐院住持。昭和47年(1972)寂、81才。 初代 陶名 永興明道 政所窯 後藤明道が圓徳院に築窯された高台寺の御庭焼です。 圓徳院は北政所が住せられた御殿を「永興院殿」と呼び、圓徳院歴代住職はその名を名乗っています。楽焼や織部等の作陶に打ち込み、寺領や寺什の文化財を護持して寺院経営による児童福祉施設の拡充を目的とし、裏千家家元や同好の賛助を得るまでに至りました。高台寺ではその昔「高台寺窯」というのが あったそうですが、現在の窯は初代の住職(明道師)が興された高台寺の御庭焼です。

  • 勅題 土茶碗 三浦 竹軒造

    ¥8,000

    共箱 12cm 高さ8cm 三浦竹軒は本名ではなく屋号であり、代々“三浦竹泉”という号を引継いでおります。 竹軒も元は三代目 三浦竹泉を襲名しましたが、早々と四代目に家督を譲り自身は三浦竹軒を名乗り制作活動を行っております。 初代 三浦竹泉も多様な技法を用いて制作活動を行っていたようで 染付、祥瑞、吹墨、色絵、金襴手など多彩な作品を残しております。

  • 鵬雲斎大宗匠書付 志野水指 加藤 十右衛門造

    ¥90,000

    共箱 直径15~16cm 口径10cm 高さ16.3~17.8cm  加藤 十右衛門(かとう じゅうえもん、1894年(明治27年)12月21日 - 1974年(昭和49年)10月15日)は日本の陶芸家。岐阜県土岐郡笠原町(現・多治見市)生まれ。八坂窯開窯。 美濃大平の陶祖加藤景豊(加藤五郎衛門景豊)の流れをくむ。1927年には笠原町の町長を務める。1958年に岐阜県の無形文化財保持者に認定。美濃桃山陶芸に魅力され伝統技法をベースに、志野、黄瀬戸、織部、美濃伊賀などを手掛けた匠。戦後の美濃陶芸再興復元に尽力。1974年、79歳で死去。

  • 鱗鶴蒔絵朱丸喰籠 川端 近左造

    ¥60,000

    共箱 直径23.5㎝ 高さ13cm 五代 近左 本名 三義 大正4年〜平成11年(1915〜1999) 奈良県に生まれ、昭和3年12歳で四代近左に入門いたしました。昭和16年、四代が養女に迎えた姉の末子、吉子の婿養子となりました。その後、日本画を能田耕風に学びながら、家業は四代に師事いたしました。大阪府展および市展で知事賞・市長賞を受け、日本美術展に数回入選。昭和38年五代近左を襲名の後には個展に専念し、各お家元宗匠のお好みになる作品を数多く手がけてまいりました。昭和56年には大阪府知事功労賞を受賞いたしました。

  • 干支猪茶碗 吉向 十三軒造

    ¥16,500

    共箱 直径12.2㎝ 高さ7.6cm 1948年(昭和23年)大阪府に生まれる 本名 了一 父、7代吉向十三軒 雅正に師事する 1971年(昭和46年)8代 吉向十三軒を襲名する 文政年間より脈々と受け継がれてきた家伝の技である 吉向焼の伝統を今に生かしながらも現代的な感覚を盛り込んだ茶道用具をはじめとする工芸品は異彩を放っている 先々代より、裏千家今日庵出入方である

  • 旅人茶碗 陽炎園造

    ¥8,000

    共箱 直径11.8㎝ 高さ7.6cm 陽炎園とは日本画家 山元春挙画伯が「東海道名所絵図」にも描かれた名勝「陽炎の池」が庭内にあることから命名された。当時、小堀遠州は近江奉行であったことなどから、遠州の指導が考えられる。初代健三の長男 1913年大正02年 生まれ 京都高等工芸学校陶磁器科卒 1987年昭和62年 膳所焼美術館を設定 1985年昭和60年 滋賀県伝統的工芸品指定 1991年平成03年 通産省より伝統産業功労者表彰 2010年平成22年 尼膳所焼で製陶中

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