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一行軸「虎吹風飛千里」 三玄院前住職 長谷川 寛州師 筆
¥23,000
共箱 幅31.2cm 長さ177.5cm 状態 良好
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一行軸「松寿千年翠」 建仁寺派第八代管長 竹田益州師 筆
¥30,000
幅31cm 長さ175.5cm 共箱 臨済宗の僧。建仁寺派第八代管長。大分県生。室号は金剛窟。9才の時祥瑞寺で得度し、のち竹田黙雷について修行、印可を受ける。祥瑞寺・大仙寺を歴住、大徳寺執事長を経て建仁寺派管長となる。平成元年(1989)寂、92才。
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絵高麗鉢 五代 清水 六兵衛造
¥20,000
直径19.3㎝ 高さ7.5㎝ 共箱 四代目六兵衛の長男として京都に生まれる。1913年に五代目六兵衛を襲名。本名は栗太郎(幼名)。号に六和、画号に祥嶺がある。 年少時より幸野楳嶺に師事し画技を修め作陶では、祖父・父に手ほどきを受けて1895(明治28)に第4回内国勧業博覧会に出品入賞を果たすが、当時最も活躍していた宮川香山や清風与平などの作品に感化され本格的に陶芸に専念するようになる。 作風は、無線七宝式マジョリカの釉法を用いた「音羽焼」、温かみのある独自の青磁釉薬を用いた「大正青磁」、典雅な「大礼磁」など次々に新しい試みで挑戦を続けた。また、いままでの官展(文展)に工芸部門の設置を要望や金工家の津田信夫や、高村豊周らと日本工芸協会設立に参画。 彼らの活躍、運動により、1927(昭和2)帝展に日本画、洋画、彫刻に次ぐ第4部として美術工芸部が設置された。
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寿老人香合 小峠 丹山造
¥12,000
直径4.4㎝ 高さ6.4㎝ 共箱 1946年 兵庫県で生まれる 1969年 島岡達三に師事する1974年 京都宇治炭山に丹山窯を築き独立する 1981年 日本工芸会正会員となる1992年 現代美術展に推挙される
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銘「千年の緑」竹茶杓 大徳寺 高桐院前住職 上田 義山師 書付
¥12,000
共箱 長さ 18.5㎝ 大徳寺五百十世。諱は良忠。大徳寺高桐院住持。昭和47年(1972)寂、81才。
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銘「清寂」竹茶杓 大徳寺 高桐院前住職 上田 義山師 書付 竹玄作
¥12,000
共箱 長さ 18.2㎝ 大徳寺五百十世。諱は良忠。大徳寺高桐院住持。昭和47年(1972)寂、81才。
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而妙斎宗匠筆「双寿」茶碗 陽炎園造
¥16,000
共箱 11.5㎝ 高さ8cm 状態は良好です。同じお茶碗が二つ入荷しました! 陽炎園とは日本画家 山元春挙画伯が「東海道名所絵図」にも描かれた名勝「陽炎の池」が庭内にあることから命名された。当時、小堀遠州は近江奉行であったことなどから、遠州の指導が考えられる。初代健三の長男 1913年大正02年 生まれ 京都高等工芸学校陶磁器科卒 1987年昭和62年 膳所焼美術館を設定 1985年昭和60年 滋賀県伝統的工芸品指定 1991年平成03年 通産省より伝統産業功労者表彰 2010年平成22年 尼膳所焼で製陶中
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而妙斎宗匠筆「双寿」茶碗 陽炎園造
¥16,000
箱 11.5㎝ 高さ8cm 状態は良好です。同じお茶碗が二つ入荷しました! 陽炎園とは日本画家 山元春挙画伯が「東海道名所絵図」にも描かれた名勝「陽炎の池」が庭内にあることから命名された。当時、小堀遠州は近江奉行であったことなどから、遠州の指導が考えられる。初代健三の長男 1913年大正02年 生まれ 京都高等工芸学校陶磁器科卒 1987年昭和62年 膳所焼美術館を設定 1985年昭和60年 滋賀県伝統的工芸品指定 1991年平成03年 通産省より伝統産業功労者表彰 2010年平成22年 尼膳所焼で製陶中
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腰黒やかん(紙箱)
¥8,000
直径16cm~20cm 高さ16cm~25cm 使用感有り
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銘「丹頂」竹茶杓 大徳寺 黄梅院住職 小林 太玄師 書付
¥14,000
長さ 18.6㎝ 共箱 昭和13年(1938)奉天生。 6才のとき出家し、花園大学卒業後相国寺僧堂の大津櫪堂に参禅。 昭和50年 臨剤宗 大徳寺派大本山 龍宝山 大徳寺塔頭 黄梅院二十世住職に就任した。
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堀内宗心宗匠書付 色絵秋草の絵大棗 岡本光斎造
¥65,000
直径7.4 高さ7.4cm 共箱 1960年 山中温泉生 大阪学院大学経済学部卒業 1983年 初代清瀬一光氏に師事 1997年 日本伝統漆芸作品展入選以来、入選入賞多数
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黒蝋色丸形菓子器 塗師 表阿弥造
¥25,000
直径23cm 高さ13cm 共箱 田中 表阿弥 珍しい菓子器です。
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萩風鉢 森岡 嘉祥造
¥7,000
直径20.3cm 高さ9cm 共箱 1956年 三代目・森岡嘉祥を襲名(19歳)1970年 東京・三越本店工芸サロンにて個展 (1975年まで毎年開催)1978年 東京・日本橋壷中居にて個展 (1981年まで毎年開催)1984年 東京・新宿伊勢丹画廊にて個展 (1998年まで隔年開催) 1993年 東京・銀座セントラル絵画館にて、「作陶35年記念展」を開催 2002年 東京美術倶楽部にて、「お茶の陶芸」「お花の陶芸」「お料理の陶芸」の展覧会を開催 2006年 東京美術倶楽部にて、「作陶50年陶芸展」を開催 2009年 6月1日 永眠(72歳)2010年 京都・嘉祥窯作品陳列舗にて、「追悼展」を開催
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独楽繋蒔絵輪島塗炉縁 塗師 香月造 蒔絵師 清峰造
¥40,000
直径42.5cm 共箱
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一閑塗 鈴木 光入造
¥20,000
直径31.5cm~36.5cm 高さ36.5cm 共箱 京塗師です。寛文元年に創業した京漆芸の象彦にて17年間修行を積み、独立します。棗、香合、棚、炉縁等幅広く制作しています。 略歴 1923年 生まれる 1950年 京漆芸・象彦にて修行する 1967年 独立する
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桐文茶碗 陽炎園造
¥12,000
直径12㎝ 高さ8cm 陽炎園(岩崎新定)・・・大正2年生。遠州七窯の一つ、膳所焼の窯を復興した父・健三に師事。昭和60年滋賀県文化賞受賞。昭和62年膳所焼美術館を設立。
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志野蓋置 二代 真清水 蔵六造
¥12,000
直径6cm 高さ5.4cm 共箱 1861(文久元)年~1936(昭和11)年2代真清水蔵六は初代真清水蔵六の長男として京都に生まれました。幼名を寿太郎、名を春太郎・蔵六、号を春泉・泥中庵といいます。
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絵唐津茶碗 中里 嘉孝造
¥14,000
直径13cm 高さ7.3cm 1958年昭和33年中里重利(先代中里無庵の三男)の長男として生まれる 1976年昭和51年有田工業窯業科卒業 同年 父の築いた三玄窯を手伝う 昭和55年 宮川香斉に師事 1987年昭和62年唐津市千々賀に築窯
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銘「松籟」竹茶杓 大徳寺 黄梅院住職 小林 太玄師 書付
¥12,000
SOLD OUT
長さ18.4cm 昭和13年(1938)奉天生。 6才のとき出家し、花園大学卒業後相国寺僧堂の大津櫪堂に参禅。 昭和50年 臨剤宗 大徳寺派大本山 龍宝山 大徳寺塔頭 黄梅院二十世住職に就任した。 臨剤宗 大徳寺派大本山 龍宝山 大徳寺塔頭 黄梅院沿革 永禄5年(1562年)に織田信長が父・信秀の追善供養のため春林宗俶(大徳寺98世)を迎えて創建、黄梅庵と名付けられた。天正18年(1582年)の本能寺の変により信長が急逝し、その葬儀が羽柴秀吉により大徳寺で盛大に行われた。秀吉は信長の塔所として黄梅庵を改築したが、主君の塔所としては小さすぎるという理由から大徳寺山内に総見院を新たに創建した。その後、春林の法嗣の玉仲宗琇(大徳寺112世)が入寺し、小早川隆景の帰依を受け、堂宇を整備。黄梅院と改められた。天正16年(1588年)に隆景の援助で本堂が建立されている。当院は近世を通じて小早川氏の宗家の毛利氏の保護下にあった。 院内には毛利家、織田家の墓所のほか、小早川隆景、蒲生氏郷などの墓塔がある(非公開)。
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銘「吉祥」竹茶杓 臨済宗大徳寺派招春寺住職 福本積応師書付 下削り 影林 宗篤作
¥9,000
長さ18.5cm 福本積応師 臨済宗大徳寺派招春寺住職大徳寺養徳院において宗應和尚に就き得度。宝林寺、住職後、招春寺住職を拝命する。昭和5年京都生まれ。 竹器師 影林 宗篤 昭和21年 奈良県 生駒 高山に生まれる 昭和40年 家業の茶道竹工芸を学ぶ 昭和45年 以後、大徳寺 藤井誡堂師、 宮西玄性師の指導を受ける
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一閑塗 鈴木 表朔造
¥25,000
直径23cm 三代 鈴木表朔 昭和 7年 京都に生まれる 昭和29年 東京芸術大学卒業 在学中に日展初入選 昭和47年 日本現代工芸賞受賞 昭和48年 日展特撰受賞 昭和52 年 箱根彫刻の森美術館賞受賞 昭和54年 京都市芸術新人賞受賞 平成 元年 作品集「繚乱の漆芸」を出版 平成 5年 日工展内閣総理大臣賞受賞 平成 8年 京都府文化賞功労賞受賞 平成10年 京都市芸術功労賞受賞
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鱗鶴蒔絵炉縁 林 哲山作
¥19,000
直径42.5cm ※箱に割れがございますのでご確認ください。
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銘「幾千代」 芳徳禅寺(奈良)住職・橋本紹尚師 書付 下削り 宗春作
¥9,000
長さ18.4㎝ 芳徳寺は、寛永十五年に、柳生宗矩が亡父石舟斎宗厳の 供養のため創建し、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。 のち柳生氏代々の菩提所ともなった。 昭和37年花園大学卒業 昭和37年大徳寺専門道場掛塔・小田雪窓師に師事 昭和40年柳生芳徳寺に帰る 昭和47年柳生芳徳寺住職になる 三玄院先代住職藤井誡堂老師より、「顕道」「紹尚」を拝命。先代住職橋本定芳師の後を受け、児童福祉施設「成美学寮」や正木坂剣禅道場にて活躍中。
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銘「無心」竹茶杓 大徳寺 三玄院前住職 藤井 誡堂師書付
¥12,000
SOLD OUT
長さ18.5cm 大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職 戦後より大徳寺の復興に瑞巌、雲窓らと共に尽力を示す。特に茶陶に深い造詣を持ち、京焼陶工を指導して、江戸時代の紫野焼復興に功績を示す。自作の茶碗、茶杓、茶掛書も数多く製作、茶席では大徳寺歴代管長の中でも人気の高いひとり。印名は「誡堂」 「龍寶」(龍宝) 「露堂〃」 「麻弎斤」(「麻三斤」) など